オリンピックのスキージャンプ競技において、日本中が衝撃を受けた出来事といえば、高梨沙羅選手の「スーツ規定違反による失格」ではないでしょうか。質問者様は「平昌(ピョンチャン)五輪」と仰っていましたが、実は大きな話題となったこの騒動は、2022年の「北京(ベイジン)冬季五輪」での出来事です。
スキージャンプに詳しくない方からすれば、「たかが服のサイズで失格になるの?」「どこが違反だったのか全くわからない」と感じるのも無理はありません。この記事では、なぜ高梨選手が失格になったのか、スキージャンプにおけるスーツ規定の厳しさ、そしてその背景にある「数センチの攻防」について、初心者の方にもわかりやすく解説します。
2022年2月7日、北京五輪から新採用された「スキージャンプ混合団体」が行われました。日本チームのエースとして登場した高梨沙羅選手は、1回目に103メートルの大ジャンプを披露。しかし、その直後の用具検査で「スーツの規定違反」と判定され、1回目の記録が取り消し(失格)となってしまったのです。
この大会では、高梨選手だけでなく、ドイツ、ノルウェー、オーストリアといった強豪国の女子選手5名が次々と同様の理由で失格になるという、異例の事態となりました。これが「スーツ騒動」として世界中で議論を呼ぶことになったのです。
結論から言うと、高梨選手のスーツの「太もも部分の周径(太さ)」が、規定よりも2センチほど大きかったことが違反の理由です。
スキージャンプのルールでは、スーツは「身体にぴったりフィットしていなければならない」と定められています。具体的には、以下の数値が基準となります。
高梨選手の場合、ジャンプ後の検品において、太もも部分の布に規定以上の「ゆとり」があると判断されました。素人目には「たった2センチくらい……」と感じますが、スキージャンプの世界ではこの数センチが勝敗を分ける決定的な要素になるのです。
スキージャンプにおいて、スーツは単なるウェアではなく、「飛行するための翼」としての役割を果たします。
スーツにゆとりがあると、ジャンプ中にその部分に空気が入り込み、パラシュートやムササビの羽のような役割を果たします。これにより「浮力」が増し、より遠くまで飛べるようになります。もし規定がなければ、誰もがダボダボのスーツを着て飛ぼうとするでしょう。公平性を保つために、厳格なサイズ制限があるのです。
あまりに浮力が強すぎると、コントロールを失って転倒するリスクが高まります。選手の命を守るためにも、道具による過度なアシストを制限しているのです。
高梨選手は世界トップクラスの経験を持つプロフェッショナルです。なぜ今回のようなミスが起きたのでしょうか。そこにはいくつかの不運な要因が重なっていました。
北京五輪の会場はマイナス15度を下回る極寒の地でした。人間は寒い場所に長時間いると、筋肉が収縮したり、水分が抜けて体がわずかに細くなったりすることがあります。また、極度の緊張による体重減少も影響した可能性があります。ジャンプ直前の測定では問題なくても、飛んだ後のチェックで「体が細くなっていたために、相対的にスーツが大きくなった」という現象が起きたと考えられています。
この大会では、これまでの検査官とは異なる担当者が、従来よりも厳しい(あるいは異なる)姿勢で測定を行ったという指摘もあります。選手側からすれば「いつも通り」の準備をしていたはずが、突然基準が変わったかのような感覚に陥ったのです。
「失格」と聞くと、何か悪いズルをしたようなイメージを持つかもしれませんが、スキージャンプにおけるスーツ違反は、F1マシンの重量制限と同じような「コンマ単位の性能調整」の失敗に近いです。極限まで性能を引き出そうとした結果、わずかな環境変化でラインを越えてしまった、というのが真相です。
この事件後、国際スキー連盟(FIS)は測定方法の厳格化や3Dスキャンの導入を検討するなど、ルール改善に乗り出しました。高梨選手もこの悲劇を乗り越え、現在も世界の第一線で戦い続けています。
スキージャンプを見る際は、「選手たちがわずか数センチのスーツのゆとりと戦っている」という視点を持つと、より一層競技の奥深さを楽しめるはずです。