漫画家・清水玲子先生の金字塔とも言える作品『輝夜姫(かぐやひめ)』。美しくも残酷な物語が、月への帰還を機に一気にSF的・形而上学的な展開へと加速し、「正直、終盤の展開についていけなくなった」という読者の方は少なくありません。ご質問にある「超かぐや姫」はおそらく本作『輝夜姫』のことと推察し、その難解なラストスラムと設定の核心をプロブロガーの視点で分かりやすく紐解いていきます。
物語の終盤、月へと帰還したはずのかぐや(晶)がどのようにして再び地上に現れたのか。ここを理解するためには、本作における「月」が単なる天体ではなく、「地球の全生命を管理・リセットするための超巨大なバイオコンピュータ(あるいは生きたシステム)」であることを理解する必要があります。
かぐやたちが月に帰還したのは、地球の汚れ(人類の増殖や環境破壊)を清算し、地球を「初期化(リセット)」するためでした。しかし、主人公である晶(あきら)は、他の「かぐや」たちの犠牲と、月の意志との対峙を経て、最終的に個としての意識を保ったまま「再生」を果たします。
復活の鍵となったのは、皮肉にも彼女を縛り付けていた「愛」と「執着」でした。晶は、自分を愛した者たちの想いを受け継ぎ、月のシステムの一部になりかけるものの、最終的には「人間としての生」を選択します。これは、月という絶対的な破壊神のシステムを、人間の感情が上書きした瞬間でもありました。
質問者様が混乱されたであろう大きな要因が、このヤチヨ(八代)という存在です。彼の正体を一言で言えば、「数千年前のオリジナルの輝夜姫に恋をし、物語を永遠にループさせていた元凶」です。
物語の中で「不死」あるいは「不老不死(ふふ)」といった言葉が重要なキーワードとして飛び交います。作中における「不死」の本質は、「月の細胞(ナノマシン)」による肉体の強制的な維持を指します。
物語の黒幕的な側面を持つ「不死」のエネルギー体や、その力を手にした者たちの正体は、月のシステムが地球を管理するために放った「端末」のようなものです。特に、サットン(ミラー)たちが追い求めた不死の力は、人間が手にするにはあまりに巨大で、最終的には個人の人格を失い、月という集合意識に飲み込まれる運命にありました。
ヤチヨが体現していた「不死」は、愛する人を待ち続けるための手段でしたが、それは同時に「死ぬこと(変化すること)ができない」という呪いでもあったのです。
『輝夜姫』という物語を読み解く上で、以下の3つの視点を持つと、バラバラだったパズルが組み合わさります。
月(親・神)が地球(子・人間)を愛しているからこそ、汚れたら掃除し、作り直そうとする。それに対し、人間たちが「汚れていても、私たちはここで生きていたい」と反旗を翻す物語です。竹取物語の「月に帰る」という結末を、「親の元へ帰ることを拒絶し、自立する」物語として再構築しています。
物語の背景には、人類が地球を食いつぶすことへの恐怖があります。かぐや姫たちは、地球の悲鳴を聴くセンサーでした。ストーリー全体を、地球という生命体が行う「免疫反応」のプロセスとして捉えることもできます。
ヤチヨの執着、由(ゆう)の献身、晶の強さ。これら全ての「個人の感情」が、月という完璧な「冷たいシステム」にバグを起こさせます。最終的に晶が生き残ったのは、彼女が誰よりも強く「人間として生きたい」と願い、周囲がそれを支えたからです。
『輝夜姫』の後半は、現実的なサスペンスから宇宙規模の神話へとスケールアップするため、一度読んだだけでは混乱して当然の難解さを持っています。
結局のところ、「かぐや(晶)は、ヤチヨが仕組んだ神の座を捨てて、一人の人間としての愛と人生を選び取った」というのが、あの壮大な物語の着地点です。ヤチヨという悲劇の愛の犠牲の上に、新しい人類の歴史が再び始まった……。そう捉えると、ラストシーンの切なさと美しさがより一層深く感じられるはずです。
もし余裕があれば、もう一度最初から「ヤチヨの視点」で読み返してみてください。彼がどれほど孤独で、どれほど晶に「かつての恋人」を重ねていたかを知ると、物語の景色がガラリと変わって見えることでしょう。