細田守監督が奥寺佐渡子氏との脚本体制に戻らない理由と作風の変化

細田守監督作品は、革新的な映像表現と現代的な家族のテーマで国内外から高い評価を得ていますが、近年、ご質問者様が感じられたように、「脚本の質」に関してファンや評論家の間で評価が二分される傾向が顕著になっています。
特に、奥寺佐渡子氏が脚本を担当した初期の三部作、『時をかける少女』『サマーウォーズ』『おおかみこどもの雨と雪』が持つ物語の軸の明確さやキャラクターの自然な感情描写は、現在でも多くのファンに愛されています。
一方で、細田監督自身が脚本を務めるようになった**『バケモノの子』以降の作品、すなわち『未来のミライ』『竜とそばかすの姫』、そして最新作(ご質問で言及された作品)では、映像美は維持しつつも、テーマや物語構造が散漫に感じられるという批判が散見されます。
このような状況下で、なぜ細田監督はかつての成功体験である奥寺氏とのタッグを再開しないのか、という疑問は、作品の質を求めるファンとしては極めて自然な問いです。
監督の創作における方針転換**、スタジオの制作体制の変化、そして**「脚本家としての細田守」が追求する独自のテーマ性など、複数の要因が絡み合っていると考えられます。
本記事では、この細田守監督の脚本体制の変遷**を分析し、奥寺氏との協業体制に戻らないとされる背景にある、監督自身のクリエイティブな選択と、脚本家としての自己確立への強い意志について深掘りします。

細田守監督の創作における「自己脚本化」への移行

細田守監督が奥寺佐渡子氏とのタッグを解消し、自ら脚本を手掛けるようになった背景には、監督自身の創作における深い欲求、すなわち**「映画の核となるテーマと物語を、自身の言葉で直接作り上げたい」という強い意志があると推察されます。
『おおかみこどもの雨と雪』までは、奥寺氏が物語の構造とキャラクターの感情の流れを緻密に構築し、細田監督がその土台の上に映像と演出を積み重ねるという、分業体制が機能していました。
しかし、細田監督は、単なる「優れた演出家」で留まることを望まず、「物語の創始者」としての地位を確立しようとしてきた経緯があります。
特に『バケモノの子』以降の作品は、「父性」「少年期の成長」「仮想世界と現実の対比」など、監督自身の個人的な哲学や家族観が強く反映されたテーマを扱っており、これらの極めて内省的なテーマを外部の脚本家に委ねるよりも、自身の内面から直接的に言語化することを選んだと考えられます。
脚本を自ら手掛けることは、テーマと映像表現の間の距離を縮め、より純粋で個人的なメッセージ**を観客に届けることを可能にします。
この移行は、監督としての細田守氏が、一人の作家として次の段階へと進むための必然的な選択であったと解釈できますが、その結果、物語の客観性や整理整頓のスキルが問われることとなった側面もあります。

スタジオ地図の設立と制作体制の変化

細田守監督が2011年に**「スタジオ地図」を設立し、自立的な制作体制を確立したことも、脚本体制の変化に大きく影響しています。
スタジオ地図は、監督自身のビジョンを最大限に実現することを目的としており、この「作家性」の強化が、「細田守自身が物語の全てをコントロールする」という方向性を加速させました。
奥寺佐渡子氏との協業体制は、監督が外部のスタジオや制作委員会に依存していた時代のものであり、外部の優秀な才能と組むことが必要不可欠でした。
しかし、自前のスタジオを持つことで、監督は外部の意見や調整に縛られることなく、自身のアイデアをダイレクトに映像化する環境を手に入れました。
この体制下では、「脚本のプロフェッショナル」の意見を受け入れるよりも、「細田守の描きたい世界」を優先する傾向が強くなります。
もちろん、細田監督は脚本協力者や共同脚本家を起用することもありますが、最終的な物語の決定権は監督自身にあり、奥寺氏とのタッグ時代のような「二つの才能の化学反応」というよりも、「監督の核となるアイデアを、周囲がサポートする」という体制に変化したと言えます。
奥寺佐渡子氏の持つ、プロの脚本家としての論理的な構成力やエンターテイメント性を、作家性を追求するスタジオ地図の体制が、結果的に必要としなくなった、あるいは排除してしまった**と見ることもできます。

細田監督の「語りたいテーマ」が脚本構成力を上回る構造

近年、脚本への酷評が続く理由として、「細田守が語りたいテーマやアイデアの量」が、「それを整理し、一本の物語の軸に乗せる構成力」を上回ってしまっているという構造的な問題が考えられます。
例えば、『未来のミライ』では「兄妹間の嫉妬と成長」という核のテーマに加え、「時を超える旅」「家族の歴史」「未来と過去の自分との対話」といった、多すぎる要素が詰め込まれ、物語が散漫になったと指摘されています。
奥寺佐渡子氏が脚本を担当していた頃は、「テーマは細田監督が提示し、それを奥寺氏が映画のフォーマットに落とし込み、論理的に整理する」という役割分担が成立していました。
奥寺氏は、複雑なアイデアを観客に分かりやすく、感情移入しやすい形で提供するという高いスキルを持っていました。
細田監督が自ら脚本を手掛けるようになってからは、監督の頭の中にある抽象的で個人的なテーマが、フィルタリングや客観的な整理を経ずに直接物語に反映されるようになり、その結果、物語の軸がブレたり、キャラクターの行動原理が観客に理解されにくくなったりするという現象が生じています。
観客や評論家の声が届いているはずなのに方針を変えないのは、細田監督が**「これは自分が本当に語りたい、この作品でしか語れないテーマだ」という作家としての信念**が、観客受けや批評家の論理的な要求よりも優先されているためと考えられます。

まとめ:戻らないのは「作家としての自己確立」という強い意志

細田守監督が奥寺佐渡子氏との脚本体制に戻らないのは、二人の間に個人的な確執があったかどうかに関わらず、監督自身の**「作家としての自己確立」という強い創作上の意志が根底にあると結論づけられます。
スタジオ地図の独立という制作体制の変化も相まって、監督は「自身の個人的で抽象的なテーマ」を、自身の言葉と構成で表現することを選択しました。
この選択は、脚本の構造的な弱さやテーマの散漫さという批判を生む一方で、誰にも真似できない独特の作家性を確立しました。
観客や評論家の声が届かないわけではないでしょうが、監督にとって「自分のテーマを妥協なく語る」ことが、「かつての成功法則に戻る」ことよりも重要であると判断されているのです。
作品の質をさらに向上させるためには、奥寺氏のようなプロの構成力を再び取り入れることが有効である可能性はありますが、現在の細田監督は、「脚本家・細田守」としての独自の世界を、批判を受けながらも追求し続ける**という、クリエイティブなリスクを取っている状況にあると言えます。

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