近年、政治に関心を持つ若年層を中心に「チームみらい」という新しい政治団体の存在がじわじわと話題になりつつあります。特に、複雑で煩雑な行政手続きを見直す姿勢や、国民生活に密着した地に足のついたマニフェストに共感する声が増えています。しかし、テレビや主なメディアではほとんど取り上げられず、SNS上でも大きな波になることは稀です。それに比べて、過激な主張や極端な思想を掲げる政党が注目を集める現状に、違和感を覚える人も多いのではないでしょうか。なぜ「まとも」で「現実的」な政党が広く知られていないのか。その背景には、日本の政治メディア構造や有権者の情報接触の在り方に深い問題が潜んでいます。
メディアが注目しない「まっとうさ」という弱点
チームみらいの掲げる政策は、いずれも実務的で国民生活の利便性を高めるものです。例えば、マイナンバーや確定申告、助成金申請の簡略化といった提案は、多くの市民にとって直接的なメリットがあります。しかし、これらの政策は「派手さ」や「対立構造」が乏しいため、ニュースやテレビ番組にとっては取り上げにくいのが現実です。視聴率やクリック数が求められるメディアにおいて、地味でも誠実な政策は“映え”ません。さらに、既存の大手政党に比べて政党交付金や広告資金に乏しく、PRの面でも圧倒的に不利です。結果として、「まとも」であるがゆえに注目されず、知られないまま埋もれてしまっているのです。
SNSでは過激な意見が拡散しやすい構造
SNSは誰もが自由に意見を発信できる便利なツールですが、アルゴリズム上「過激」「陰謀」「怒り」といった感情を刺激する内容ほど拡散されやすい傾向にあります。そのため、極端な思想を掲げる政党や、論理性よりも感情に訴える主張のほうが目立ちやすいのです。参政党のような政党はその構造を理解し、戦略的にSNSを活用しています。一方、チームみらいはあくまで現実的かつ誠実な訴えを貫いているため、SNSでバズる要素が乏しいというジレンマがあります。さらに、既存の支持基盤がない無所属系政党にとって、SNSの“拡散力”に頼るしかない状況で目立てないというのは、大きな課題となっています。
有権者の政治意識とリテラシーの壁
もう一つの大きな理由は、有権者の多くが政治に対して距離を感じていることです。「誰に入れても変わらない」といった無関心や、「専門用語が多くてよくわからない」といった情報の難解さが、まともな政策を見極める障害になっています。チームみらいのような現実的な政策を読み取るには一定のリテラシーが必要であり、メディアのフィルターを通さず自ら調べる姿勢も求められます。つまり、政策の質が高くても、それが伝わる土壌が育っていなければ意味を持ちません。このような状況では、内容よりも“キャッチーな言葉”や“敵を作る構図”の方が共感されやすく、結果としてチームみらいのような政党は埋もれてしまうのです。
マニフェストの優位性と実現可能性のバランス
チームみらいが掲げるマニフェストは、単なる理想論ではなく、実務的な現実性を持っています。たとえば「行政手続きの簡素化」や「テクノロジー活用による手続きの統一」は、すでに一部自治体で試験導入されているモデルとも一致しており、実現の可能性は高いです。しかし、その分“夢”や“革命”的なインパクトには欠け、国民の心を一気に動かす力にはなりにくいという側面もあります。国民の多くが抱える「なんとなく不便」という日常的な不満は、劇的な変革よりもこうした着実な改善で解決できるはずですが、政治という舞台では「派手さ」や「カリスマ性」に注目が集まりがちです。その中で、チームみらいのような政党は“地道な優等生”として見過ごされがちなのが現実です。

まとめ:まともな政治が報われる社会に向けて
チームみらいのような政党が十分に認知されない背景には、メディアの構造、SNSの性質、有権者の政治的リテラシー不足など、複数の要因が絡み合っています。しかし、その政策が「まっとう」であり「生活に即している」ことに疑いはなく、今後の日本に必要な視点を提供しているのは確かです。本来であれば、こうした政党がもっと評価され、議席を得て政策を実現していくことが、民主主義のあるべき姿ではないでしょうか。私たち有権者も、ただ話題に乗るのではなく、自ら情報を探し、見極める意識を持つことが必要です。目立つ言葉や耳障りの良い主張だけに流されず、未来を見据えて「まともな選択」をする時代が、今こそ求められているのです。


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